2026年、野球が「お茶の間」から「個室」に引っ越す日

みなさん、こんにちは。 2026年も1ヶ月が過ぎ、プロ野球界もいよいよキャンプイン目前。野球ファンにとってはソワソワする季節がやってきましたね。

でも、今年の冬の空気は、例年とは少し違う「ざわつき」を含んでいる気がします。 ニュースを賑わせているのは、3月に開催されるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の放映権について。なんと今回は、Netflixが日本国内の全試合を独占配信することになったんですよね。

これまで、侍ジャパンの試合といえば、家族みんなでテレビを囲んで「あーだこーだ」と言いながら見るのが当たり前でした。それが、ついに「サブスクに加入していないと見られない」という時代がやってきたわけです。これ、冷静に考えると、日本のエンタメ史における結構な大事件だと思いませんか?

「みんなで見る」から「自分で選ぶ」へ

このニュースを聞いたとき、私は「お茶の間」という言葉の終わりを、ちょっぴり切なく感じてしまいました。

昔は、街に一台しかないテレビにみんなが集まったり、会社で昨日のナイターの結果を語り合うのが「共有された喜び」でした。でも今は、スマホやタブレットで、それぞれが好きな場所で、好きな角度から、自分だけの「推し」のプレーを追いかける。 Netflixという巨大なプラットフォームに野球が引っ越すということは、単なる配信先が変わる以上の意味がある気がします。

それは、「見たいものにお金を払い、能動的にアクセスする人だけが目撃できる体験」への変化です。 もはやエンターテインメントは、空から降ってくる(地上波)ものではなく、自分で手を伸ばして掴み取るものになった。2026年の私たちは、かつてないほど「自由」になった一方で、「みんなが同じものを見ている」という一体感からは、少しずつ遠ざかっているのかもしれません。

画面の向こう側の「贅沢」

面白いのは、独占配信権を持つNetflixが、ただ試合を流すだけじゃなく、独自のドキュメンタリーや裏側の映像をセットにして「物語」として野球を見せようとしていることです。

大谷選手がベンチで何を話していたのか、マウンドに上がる直前の表情はどうだったのか。 私たちが今まで見ることができなかった「細部」や「影の部分」までが、高精細な映像で暴かれていく。それはとても贅沢な体験です。でも同時に、あまりにもすべてが明らかになりすぎることへの、ちょっとした恐怖も感じたりします。

何でもかんでも「超高画質」で「裏側」まで見えてしまう時代。 そんな時代だからこそ、私たちは時々、「全部は見えないけれど、なんだかワクワクする」という感覚を、本能的に探してしまうのではないでしょうか。

結局、私たちは何を見たいのか

Netflixで野球を見るにしても、昔ながらのラジオ(実はニッポン放送が中継するらしいです!)で耳を澄ませるにしても、私たちが求めているのは結局、その瞬間、その場所でしか起こらない「魔法のような時間」なのだと思います。

最新のテクノロジーがどれだけ進化して、放映のシステムがどんなに変わっても、ピッチャーが投げる一球に息を呑み、バットが空を切る瞬間にため息をつく。その「体験」そのものは、100年前からずっと変わっていません。

システムや画質はどんどん「正解」に近づいていくけれど、観る側の「心」の揺れは、いつまでも正解のない、不完全なまま。 2026年の冬、新しい時代の野球観戦を楽しみながらも、そんな「見ることの本質」について、ぼんやりと考えてしまうのでした。

3月の夜、皆さんはどんな画面で、誰と、あるいは一人で、どんな物語を目撃するのでしょうか。


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