目 次
このサイトってどういう所?
私達「現代影絵プロジェクト」の活動報告、やニュースなども掲載し、江戸時代の写し絵や影絵の事について皆さんと情報交換出来る場になればと思っています。
江戸写し絵とは
江戸写し絵とは…簡単に説明すると、江戸時代後期に発明された木製の幻燈機を使用し、ガラス製の種板(現代で言うスライド)駆使し、色付きの映像がいかにも動いているよに見せる、アニメの原点とも言える芸能を江戸写し絵と言います。
部類で分けると影絵と同じ部類になります。
説明文
江戸時代が起原となる影絵(写し絵)は、もともとは指や手を組み合わせ動物や物の姿を障子に映して遊ぶ手影絵遊びでした。
素朴な手影絵から始った独特な遊びの世界は、二百年前オランダから伝えられた幻燈により変化し、写し絵と呼ばれるストーリーある影絵と生まれ変わり、語りと音楽などをその場で即興でやった物が、江戸後期から明治に渡り行われたとされています。
写し絵と呼ばれるようになった影絵の特長は、今のアニメーションのようにキャラクターや背景が動くと言う所でした。
ガラスに描かれた絵を、「風呂」と呼ばれる映写機に入れて和紙に写し出し、映写機に色々な細工をして、いかにも絵が動いているように工夫して見せました。江戸庶民には大人気だったようです。
写し絵はアニメーションの元祖とも言える物ですが、アニメーションとの違いは固定した映像を動かすと言う所と、動かないと思われている物が動く所。
そのような所が魅力であり人を引き付ける要素になったのではないでしょうか。
現代影絵プロジェクトを発足した理由は?
「最近、増えている子どもの凶悪犯罪は、小さい頃に豊かな心を育てる機会が少ない事もあるのでは?自分たちにできることは何か?」
私たちが影絵に行き着くまでの発端となった想いは、そんな一言からでした。
昔は親から子へ脈々と伝えられた色々な共有財産がありました。
それは民話だったり、家事だったり、形ある物であったり、と様々でありましたが、親と子が向き合って話し、コミニュケーションのとれる場の一つではなかったのでしょうか。しかしそのような場は現在失われつつあります。
私どもが行っている影絵もその一つだと考えています。
科学の発達により町ではまばゆいばかりの人工光が溢れ、それに伴って影の無い世界が広がり夜の闇が薄れ遠のいてしまいました。同時に影を使った遊びも薄れ遠のき、淡い影により養われた豊かな感情や情緒も薄れて行きました。そして親と子が、または仲間どうしではぐくんだ闇から生まれた文化は語り継がれなくなりました。
昔のように、親と子が向き合える場を作りたい。失われつつある豊かな感情や情緒を育ててほしい、広めたい。そんな想いから影絵(写し絵)を導き出し、現代影絵として生まれ変わり、現代影絵プロジェクトの発足に至りました。
今までの経過が分かりやすいように現代影絵のプロフィールを記載します。
2001年
江戸時代に行われた影絵、写し絵の資料と出会い、その魅力に引き込まれる。
2002年
「現代影絵プロジェクト」を立ち上げる。
仲間は9名。作家、ゴーストライター、出版、印刷関係者らで構成。
ボランティアで市町村のイベントや、学校、保育園等で影絵の歴史と実演、現代の機材を使った写し絵風の物語りを演じる。
現代影絵を行うきっかけは、「江戸末期に行われていた写し絵を現代風の物にしたらどうなるか」
という事から始まった。
動くはずのない固定された絵を動かすと言う魅力を現代で表現するにはどうしたら良いか、アニメーションのようにならないにはどうしたら良いかと考えた末、最終的に行き着いたのは固定された絵の魅力を持つ絵本に行き着いた。
許可をもらい、絵本のデータをコンピュータで処理し、キャラクターや物が固定された映像のまま動くようにする。音楽や効果音を加え、その場で物語りを話すと言う組み合わせで発表している。
読み聞かせの先生方、作家の方々がメンバーに加わる。
2005年
昔の写し絵の復元を決意!
資料集めに入る。
しかし資料の少なさに愕然とする
2006年
自力で風呂の作成を決意!
資料を探しまわり、風呂の設計図を入手!
11月12日 江戸時代の幻燈機(風呂)復元!
2007年
8月 種板の復元に成功!
そして公演!
江戸時代の幻燈影絵を完全復活。写し絵がなくなってから、復元公開世界初となる演目の上演に成功。
2008年
8月 落語と写し絵共演を始める
2009年
12月 薩摩派説経節との共演
2012年
1月 若松派説経節との共演
さらなる飛躍へ…
現代影絵ってどんな事をするの?
私どもの現代影絵プロジェクトでは、2つの筋からなたっています。
1、写し絵風動く絵本の上演
2、江戸写し絵の完全復元公演
■以下説明
オランダから伝えられた幻燈が日本に入って来て変化したように、幻燈が現代風に変化したら面白いのではないかと考案しました。
写し絵の魅力である「固定した映像を動かすと言う所と、動かないと思われている物が動く所」を残しつつ、現代の物で表現するにはと考えた所、固定した映像、動かない物を動かすというコンセプトにぴったりな絵本に着目しました。
絵本には夢があり、絵本の物語りは創造性を高めてくれます。
誰しも小さい頃には絵本のキャラクターと遊んだり、絵本の世界を夢見る事があると思います。
そんな思いを表現するため、絵本のキャラクターを現代の器機を使用しデジタル化して動かし、音を加え、その場でお話しを語る、現代風の幻燈影絵(江戸写し絵)をつくり出し上演しております。
また、江戸時代に行われていた「写し絵」を当時のまま完全に復元し公演しております。当時の幻燈機を使い、日本で復元公演されている物の中で現代影絵プロジェクトにしか存在しない種板(スライド絵)を使用し演じています。
近代には無いとても貴重な物ですので、時代ロマンを感じながらご覧下さい。
※注意
映画は客席側から投影しますが、現代影絵は幻燈と同じようじようにスクリーンの後ろから投影します。
江戸時代に行われていた「写し絵」のお話しは、実際に江戸、明治時代などに作られた物を復元し使用しております。
その他
上記の内容は主にメインとして上演している物です。
現代影絵プロジェクトは常に進化する事を目指し運営しております。
時と場合に応じて変化させ、話し合いで出た話題などを元に写し絵の他にも様々な演目をやろうと考えております。
現在では現代風写し絵の他に、江戸時代の影絵の説明や、影を作り出す為に使われる仕掛け影絵の型紙などを見て頂き、影絵とはどのような物か知って頂く為の催しも行っています。
劇団や有料団体と同じですか?
発足についてのお話の中にも出てますが、私たちはボランティアで演じております。
実演はお願いできますか?
はい。大丈夫です。
しかしながら現代影絵プロジェクトに所属する人員は、全て本業を持っており、かならずお申し出の日程で実演をする事は出来ません。
平日の公演もお断りしております。
基本的に、土曜日、日曜日に行っておりますのでご了承下さいませ。
何処の地域まで来てくれますか?
私達の活動の拠点は東京都下のあきる野市という地域です。
新宿から高速を使って1時間以上かかる所なので、あまり遠くにはお伺いする事は出来ません。
あきる野市から30分以内ぐらいの場所を目安にして下さい。
作品はどんな物があるのですか?
作品は低学年向け、高学年向け、大人向けがあります。
一度見て頂いた方が分かりやすいと思います。ご遠慮なくお申し付け下さい。
場所についてはご連絡致します。
■演目基本構成
動く絵本
・オバケのモアモア
・雲から落ちた鬼
・はなのみち
・おおきなキャベツ
・あめあめすきすき
・花さき山
・青い森の物語(東北のかぐや姫)
江戸写し絵(江戸時代の幻燈影絵)
※持ち主の方の許可が降りないと公演出来ない演目があります。
※復元中の物を含む。
・花火(話し)
・月(話し)
・大江戸夜話 ダルマ(話し)
・三番叟
・小栗判官一代記(説経節用)
・刈萱道心 石童丸(説経節用)
・日高川入相花王(説経節用)
・山椒大夫(さんしょうだゆう)(説経節用)
・勧進帳(説経節用)
・法道丸(説経節用)
・一の谷嫩軍旗(いちのたにふたばぐんき)(説経節用)
他十数段
スライド解説(江戸時代の影絵講話)
・江戸の影絵 座敷き影絵芸の色々
しかけ影絵
・狐女
以下ご参考にどうぞ
演目
・花火(話し)
・月(話し)
・大江戸夜話 ダルマ(話し)
江戸写し絵使われている用語が分かりません
■用語集
風呂 木製の幻燈機。江戸時代から明治にかけて使用。現代では作られていない。
種板 現代で言うスライド
説経節
日本近世初期の語り物文芸。説経。しばしば「説教節」と誤記される。
三味線と語りで物語りを歌う。
錦影絵 江戸写し絵の上方版
影人形 江戸写し絵の松江版
幻燈屋 幻燈機材を販売していた。既に滅んでいる。
小栗判官
説経節で語られる代表的な演目の一つ。各地に様々な伝説を残している。
照る手姫、湯の峰温泉、清浄光寺、藤沢大坂町、おぐり祭り
薩摩若太夫(説経節薩摩派家元)
薩摩派説経節の家元。現在十三代目。八王子市にて説経節の会を発足。郷土芸能祭り、車人形、生涯学習講座と様々な分野で活躍中。世襲制では無く、会に属した家元である為保存会に近い。現在十三代目が会を離れた事により、家元は空席。現代影絵プロジェクトとも共演。
若松若太夫(説経節若松派家元)
若松派説経節の家元。現在三代目。板橋区にて郷土芸能祭り、車人形など様々な分野で活動中。車人形や写し絵で演じるにあたり、盛り上がりを重視した説経を得意とする。元々薩摩を名乗っていたが、独特の説経をあみだし若松派を創設。廃れかけた説経を広く世間に広める事に貢献した。当時説経節のみのプロとして、説経を語りその収入で生活出来たのは若松若太夫のみであった。薩摩を名乗っていた太夫達も若松の人気ぶりに若松の名前を名乗ってしまうほどであった。柔道で有名な嘉納治五郎にも深く愛され、明治時期には門下生を大勢かかえ、大人気であった。
現代影絵プロジェクトとも共演。
影絵
一般に影絵と言うと明かりの下に映る黒い影を連想する。
多摩地域(八王子近辺)では写し絵も影絵とみなされ、一般に写し絵ではなく「影絵」として認知されていた。現代影絵の名前の由来もここから来た物である。
車人形
車の付いた椅子に座り、人形を操作する民俗芸能。各地に伝承あり。
車人形と写し絵は昔一緒に演じられる事が多かった。
郷土芸能
文字通り、郷土に伝わる民衆芸能である。各地で保存会が発足され、各々の郷土芸能を守っている。
東京都指定無形文化財
形が無い技術などの伝承に文化財指定した物。