説経節との共演で思った事

今更ですが数年前に若松説経薩摩説経と共演をした際に感じた事がありました。
今でもずっとこの事は頭によぎります。
「説経節と写し絵は相性が良かったのか?」
写し絵に限らず、車人形などの人形劇にも説経節は用いられていますが、本来語りで心情を伝える説経節に、写し絵や人形は必要だったのか?
語りだけ聞いている時は、聞き手は想像し、自分の経験等と照らし合わせて泣けてきたり、感動したりする。
昔は今のように平等ではなかったので、苦しんでる人も居れば、子供と別れた人、親とはぐれてしまった人、などを経験している人が沢山いたに違いない。
だからこそ今より泣けたり感情に訴える事が出来たのだろうと思う。

写し絵や人形のように、視覚的に状況が入って来た時、昔の人はどう感じたのか。

今は難しい言葉を使う説経節の解説的な役割も果たしていると思う。視覚的に何をしている状況なのか分かるからだ。

昔の人は語られてる話しを理解しながら、なおかつ、なぜ写し絵や人形をみていたのだろうか?
実の所、語りがあれば場は成立してしまう。

例えば、写し絵を説経節で演じている時に、突然のトラブルで写し絵が使えなくなるとする。
だとしても語りだけ舞台は成立してしまうのだ。
その逆は成立しない。
絵だけでは間が抜けてるし、人形だけでも同じに思う。

そう考えると、幻燈影絵等がめずらしかった当時の余興的な存在なのだろうかと考えてしまう。

文献を見ると、絵を見て怖さが増したり、人の死がリアルに感じたりと言った事はあったみたいだが、昔のように人口光が無い真っ暗闇の怖さ、人の死が身近にあるリアルさを知っている人々にとって視覚的要素はどう認識していたのか。

今では知るよしもないが、こんな事がずっと頭から離れないでいる。

説経節を習ってみたが、実は三味線を弾きながら語るのは見ているよりもずっと楽しい。
語りのストーリーを想像したり、子供の話し方、女性の話し方をしてみたり。
視覚的要素が無くても楽しい。

写し絵とはどんな存在だったのか。
これからもずっと考えるのだと思う。