東日本大震災以降、仕事の忙しさも重なって活動を休止しておりました。
活動と言うのは地道に小さい事でも行っていれば活動となるのだろうと思いますが、本当に影絵に関しては休止状態でした。
私自信は説経節を習ったり、関係者の方と交流があったりと休止していた分けではありませんが、プロジェクトととしての活動はしたなかったように思います。
そんな感じで数年過ごしてしまいましたが、近頃関係周辺が盛り上がって来た感があり色々なお話しを耳にする事が増えました。
そのような事が続くと「自分もそろそろ」と沸々と湧き上がる物を感じます。
決定的だったのは、今年に入って写し絵の練習時に邪魔ばかりしていた10歳になる娘が、「写し絵をやりたい」と言い出したからでありました。
以前から写し絵をやりたいとは言っていましたが、イタズラ目的なのは分かっておりましたので、破損を恐れて触らせませんでした。
あと少しで小学校5年生になりますので「そろそろ良いかな」と思い触らせる決意を致しました。
考えてみれば、私は三味線を永年やっておりましたが、習い始めたのは小学生の低学年、高学年になった時には名取となっておりました。
祖父母が三味線をやっていて、祖母に関しては先生として周辺で生徒を取っている程でしたので、三味線の音は日常の物でした。
確か私も「三味線がやりたい」と言って子供用三味線を買って頂き、祖父母の師匠に弟子入り致しました。
練習や発表会の時などは、体より三味線の方が大きい為、全身を使って一生懸命運んでおりましたが、発表会に向かう途中電車のホームと電車の隙間に落ちてしまい三味線がつっかえ棒になって助かったと言う事件がありました。
その際は三味線の棹が見事に真っ二つ。
かなり衝撃がありましたが、三味線のおかげで怪我もせずに生還できました。
そんな時も祖父母は何も言わず、新しい三味線を買ってくれました。
(当時は今ほど三味線は安く手に入りませんでした)
教えるには道具が壊れる事を恐れていては前に進めない。
今更ながら昔を思い出し反省しております。
既に祖父母は他界しておりますが、何かをする時は当時教わった事が自分の軸となっている事が多いです。
そう考えると、祖父母は私と言う人間に何かを残して去っていったのだなーと、最近になって良く考えます。
私も歳をとり、子供も出来て色々と考え方が変わったのかもしれませんが、当時祖父母が考えていた事が少しづつ分かってきたような気がします。
そろそろ私も誰かに何かを残す時期に来ているのかもしれません。
追伸
そういえば。。。
先日お会いした結城座の方から公演チラシを頂きました。下記に内容を記載致します。
1月24日
舞台芸術参加企画 江戸の伝統芸能に挑戦してみよう!
結城座「宮沢賢治の写し絵劇場 ~注文の多い料理店~」
会場:横浜市緑区民文化センター(みどりアートパーク)
結城座ホームページ