本日は貴重なお話しを聞く事が出来た。
あきる野市で秋川歌舞伎の座長をしておられる「かしやま まこと」さんの卓話だ。
この方は座長兼義太夫の演奏者でもある。
座長さんのお話しから大変興味深い事が分かった。
秋川歌舞伎は現在東京都で2つしか無い農村歌舞伎の一つです。
東京に存在する農村歌舞伎は2つで、2つ共にあきる野市に存在するそうです。
初めて知りました。。。
プロ集団が演じる歌舞伎は「大歌舞伎」、素人が演じる歌舞伎を「地芝居」「農村歌舞伎」と言うそうで、農村歌舞伎には大歌舞伎には無い節や演技方があるらしく、それを代々誇りを持ち演じているとの事です。
同じ演目でも演じ方が違うと言う事です。
お話しの中で面白い内容がありました。
元々明治11年(確か11だったような)頃に、あきる野に地芝居、八王子でも有名な車人形を持ち込んだ人物、古谷氏と言う人が居たそです。
明治11年と言うのは興行申請を出した年であったので、もしかしたらもっと前から存在していたのかもしれませんが、現在では八王子で有名な車人形は、あきる野市でも盛んに行われていたらしい。
そして、この車人形が無くなった原因としてお話し下さった内容がとても興味深い物でした。
本当か嘘か分からないので冗談じみたお話しの仕方をされていましたが、大まかな話しは下記のとおりです。
古谷氏は奥多摩町に行った際に、道具一式を差し上げてしまった。
うわさでは、賭け事をした古谷氏がぼろ負けをして、車人形道具一式を取られてしまった。
と言う話しでした。
とても面白い話しですね。
嘘っぽい話しのように思われますが、私は本当なのではないかと思っています。
真実はウワサの方が信憑性があります。
裏づけとしては、当時写し絵のように、車人形の道具も大変高価な物だったに違いありません。
これを簡単にプレゼントするとは思えません。
多分賭け事で負けたのでしょう。。。笑
私がこの話しに注目したのは他に理由があります。
以前お話ししたと思いますが、あきる野市にも写し絵の道具があったのですが、やはり奥多摩へ売られてしまったとあります。
以前から疑問に思っておりました。
「何で盛んだった頃に写し絵の道具を売ってしまったのだろう」
純粋に親交があって売ったのかもしれまん。
ですが何か釈然としません。
もしや。。賭け事に負けたのでは。。。。
そう考えた方がなぜか納得できるような気がします。
あくまで私の考えですが。。。
写し絵の道具がいつ頃奥多摩に渡されたのかもう一度資料を見ないと思い出せませんが、秋川歌舞伎の古谷氏、あきる野の写し絵の持ち主、奥多摩の方達が、顔を合わせて同じ場所で賭け事をしていたとしたら、これは面白い話しです。
本当はどうだったのでしょう。
想像すると楽しいですね。
そういえば6月16日に瑞穂のお寺で「地獄絵」の絵解きがあります。
興味がある方は是非。