川口の写し絵

あけましてと言ってからもうすぐ一ヶ月がたとうとしています。早いですね。

最近見つけた資料について書こうと思います。

私たちが活動の拠点に置いているあきる野市には昔、沢山の大道芸人が来ていた事が記録から分かる。

写し絵の公演も盛んに行われていて、八王子の川口からも玉川馬蝶一座が来ていた。
この一座は公演記録を持っていて現在も残っている。

私が見つけた資料は日記のような物で、この馬蝶一座が公演をした時の日記のようだ。
この公演は以外と大掛かりで、写し絵師が3~4人、語りが居て鳴り物もいる。
そして絵からみると、スクリーンも結構大きい。
昔は神社の片隅や部屋でおこなっていたので、あまり大きなスクリーンをつかっていなかった。
だがこの絵は大人が7人ぐらい並んだぐらいの大きさがあるので大きめである。

演目は日高川入相花王である。
鬼と大蛇が出て来るこの演目は、当時の子供にはとても怖く映っていたようだ。今みても子供は怖がるだろう。

だがここで疑問が出る。

当時のスクリーンが小さい分けにはもうひとつ理由がある。
絵柄を大きく写しだせるだけの光源力がなかったのだ。
昔は灯芯やランプを光源にしていたので、あまり大きく鮮明に映し出せなかったのだ。

だが絵では大きく見える。
だが川口の資料をみている内にもしかするとと言う内容があった。

この川口の写し絵公演は、私たちの行っている現代のランプで写し絵を行う先駆けを行っていたみたいだ。

大正9年に電灯が引かれると、川口の写し絵は五燭灯のランプを光源につかい始めたらしい。これにより大分はっきり写し絵を写せるようになったみたいだ。

昔ながらに試行錯誤を繰り返していたのだとわかる。

昔の電球は今とちがって味があったのだろと思うので、一度見てみたい物だ。
最近は電球も蛍光灯式や発光ダイオードのような偽物のような光になってきている。省エネで結構だが味がなくなったようで寂しい気がする。

話しがそれてしまったが、時代と共に無くなってしまった写し絵だが、なくなる前に現代の要素を取り入れた写し絵もあったのだと分かり久々に楽しい発見となった。