板橋区アクトホールにて若松派の家元「若松若太夫」師と共演をさせていただきました。
板橋区は行くだけで1時間30分程度かかりますので出演移動範囲外でしたが、滅多に無いチャンスでしたので参加させていただきました。
若松若太夫師には練習の為あきる野市へ数度お越し頂き、あきる野ルピアにて練習をいたしました。遠いい所大変恐縮であります。
この度の写し絵師の編成は4人。風呂に関しましては、板橋区でトラブルがあっても機材を取りに帰れないので異例の7台投入となりました。団員の内一人が鳴り物も担当する事となりましたが、現在妊娠中でしたので本番中大丈夫かとヒヤヒヤ致しました。
現地が遠いいので遅刻しては不味いと早めの出発を致しましたので、スムーズに現地に到着。
機材を降ろしエレベーターへ。
大型エレベーターの為一度で積み込み。大変便利でした。
アクトホールは私たちが行った公演の中でも一番大きな会場でしたが、照明から電源、マイクまで全てを何人ものスタッフさんが担当しており、皆さんプロでしたのでとても心強く思いました。
大きな舞台ですと、風呂の設置場所へのライティングがとても難しいのですが、リハですぐに調節して頂きました。実にスムーズでした。感謝。
スクリーン等の設置も終わり、若太夫師とのリハのスタート。
リハは本番前の大事な時間です。
これにより緊張感が高まり、演技にも力が入っていきます。
リハが無事終了するとホット一息。
楽屋でお茶タイムです。
若太夫師の奥様より頂いたお饅頭を皆で頬張り、程よい甘さが緊張を解してくれました。大変美味しかったです。
お昼にはお弁当を頂き、後は本番を待つのみ。
意外とこの時間が一番緊張します。
私は今回公演の前に「写し絵教室」なるインタビュー形式の対談がありました。
どんな事を聞かれるのか分かりませんでしたので、とちらないように基本的な事を頭の中で思い返しました。
改めて色々考える事は今までなかったので、色々思い出しているうちに、ここまで来るまでにクリアして来た問題点や大変だった事などが思い出され、こうして舞台に立って公演をさせて頂けている事に感謝の思いが込み上げて来ました。
今一緒に公演を行なっている団員にしても、分からない所から少しづつ練習を積み重ね一緒にやってきたが、少人数で行なっている為練習や公演をする時は一人でも欠ける事がゆるされず、体調管理も各々気をつけながら公演をしている。皆本業を持ちながら行なっているので大変な所を押しての写し絵公演であるので、そんな事なども思い出し「良くやってきたな~」と団員皆に感謝などもしつつ本番を待ちました。
いよいよ本番になり舞台へ。
写し絵教室では、大学の博士が進行や質問事項を考えて頂き、写し絵の歴史や、作り方などのお話しをスムーズに行う事ができました。お話しの最中、ふと前方に目が行った時に一番前にとても若い、高校生から二十歳ぐらいの方が座っておられました。とてもビックリしたのですが、同時にこんな若い方も郷土芸能に興味を持ち足を運んでこられるのだなーと関心いたしました。
そんなこんなで、無事写し絵教室なる物も終わり、ついに本番となりました。
まず口上です。
一番気の引き締まる瞬間。
そして若太夫の三味線の音。
ジャン
ジャンジャン
と始まる。
気を引き締め写し絵をはじめる。
この度の舞台は奥行きが狭かったが、長さがあったので写し絵の裏方の上映している風景も客席がわから見る事が出来たと思う。良い意味で写し絵とはどういう物か良く見ていただけたのではないかと思う。
この度の演目は矢取りの段で、すでに演じ方については前にご説明しているので、あえて演じている最中の事は書かない事にする。
いつもと違う事といえば、舞台の奥行きが無かった為に演じるのが大分難しかったと言う事だろう。その為何かあったら大変と風呂を7台も用意する事となった。
良い経験だったと思う。
それと、若松派の唄と合わせ演じるのが始めてだったので新鮮であった。
私が始めて写し絵を知った時、同時に若松若太夫という説経を唄う人がいた事を知り、CDなども収集した。最初に聞いた唄は初代若松若太夫だったが、今では三代目でこの度ご一緒させて頂いた先生である。いつかご一緒できればと思っていたので感無量であった。
楽しい時間はあっと言う間に終わり、最後に舞台で大きな拍手を頂いた。
とても充実した瞬間であった。
今後も写し絵を研究し、発表できたらと思う。
簡単で申し訳ありませんが、これで公演の報告を終わろうと思う。