写し絵2

一昨日は「作者との一体感」について少しふれてみた。
さて、復元の話に入るがこれは本当に根気と困難がつきまとう作業だった。既に塗料が剥げ絵が消えてしまっている所、割れてしまっている所など色々あった。
しかし何とかやり遂げ、作品を作りあげる事ができたが、とても奇妙な心持ちを復元中に体験出来た。
ずっと机にかじりつき、集中して何日も作業に当たっていると、復元している種板絵の描き癖などがだんだん分かってくる。そうすると自分がまるで絵師になったような感覚になってくるのだ。多分絵に感情移入しているのだと思う。

そして奇妙な時間が訪れる。手が疲れて絵の線が乱れそうだなと思うと、なぜか元絵の線も気が抜けたように乱れているのだ。昔の絵師と自分が同じ所で疲れ集中力がとぎれて絵にそれが現れている。まるで時を超えて絵師と同じ時間を過ごしているような奇妙な気持ちだった。その後はお茶を入れ一服。昔も同じだたに違いない。とても充実した時間だ。

色付けの時もそうだ。色つけの時はなるべく繊細な所から塗って行き、おおざっぱの所は最後にもってく。そして最後に疲れて色が少しはみ出す。あちゃ!と思うのだが、良くみれば元絵も同じようにはみ出ている。私などとはちがいプロの絵師だったに違いないが、考える事、疲れる事はあまり変わらないのだと思うと、よけい親近感がわいてくる。

昔の絵師が自分と同じように、一人で遅い時間まで目をしばたきながら作っている様子が頭に浮かんできた。一人ではなく二人で作業をしている感覚。これは復元をやった者でなければ味わえないのだろう。
私は以前から写し絵師がどのように種板を作っていたのか調べていたが、資料ものこっていないのでなかなか実態がつかめなかった。

だが、今回の復元作業で何だか少し分かった気がした。頭で分かったのではなく、体で感じたと言った方が良いのかもしれない。
でもなぜ同じような感覚になったのか考えてみた。
それで思い出したのだが、以前種板の絵師がつかっていた備品を見た事があった。その中に種板にする前の下絵帳があった。
と言う事は、一度下絵を描いた上で本描きを下絵を元に描き上げたのだろうと言う事が分かる。

復元作業と種板作成はとてもにているのだ。

この復元作業で気づいた点は色々あった。実際に作業をして得られる情報はとても多いし貴重な物だった。何にせよ昔も今も変わらないのは、技術と言うのは体で覚えたのだろう。なので作り方などが文献などで残らなかったのかもしれない。これは私見なので流して読んでほしい。

さあ、次はどの作者の種板を復元しようか。都鏡か、都仙か、または二葉太夫の物か、それか作者不明の駄作にするのも面白い。考えただけでワクワクする。
しかし最後に思う事は、作者を選べるだけの復元を待った種板が手元にあると言う事に、ただ感謝と言う事だ。
月並みではあるがご協力して頂いた方々に感謝の一言である。