影絵のはじまり

今日から日記形式で影絵の話しをして行こうと思う。
ここで出てくる話は、私が資料を読み記憶した事例と感想を折り混ぜて進めて行くので、独自の見解となりますのでご了承下さい。
疑問に思った事は質問して頂いてもかまいませんが、お調べ頂きお教え頂けると助かります。

さて、前置きが長くなりましたが、今日は影絵のはじまりについて話して行きたいと思う。
影絵のはじまりと言うと殆どの方が思い浮かぶのが手影絵だろう。
障子や壁に手で形を作って映し出すと言う物だ。

しかしここで良く考えて欲しい。
手影絵と言うのは、明かりを人が発明してからの産物だろうと思う。なぜなら家の中で演じる手影絵は後ろから援助してもらえる人工光が必要不可欠だからだ。
そう考えるとまず明かりと言うのは元来どこから来る物かと言うと「空」からだろう。

もうお気づきとおもうが、「太陽」と「月」だろう。
月と言うのは正確に言うと太陽の光を反射している分けで、実際に光りを発している物ではない。
が、しかし、日本の影絵で「月」は重要な要素になるので、ここでは光を放つ物の候補として挙げておきたいと思う。

本題に入ろう。
人は頭上から降り注ぐ豊かな光で、地上に映し出される己の陰と言う物に魅了されていただろうと思う。
今でこそ科学的な理論も理解している現代人には普通の事のように思えるが、科学など無縁の昔の人々は動く度に追ってくる自分の影に魅了され、または不思議に思ったりもしただろう。
でも子供の感性は広く、何でも楽しい物に変えてしまう。遊び道具の乏しかった昔は、体を使った遊びが様々に作られたが「影踏み」もその一つだろう。
相手の影を踏み遊ぶ影踏みは、人類が影で遊んだ最初の影絵遊びではないだろうか。
広く知られているこの影踏みは、私も含め小さい頃に太陽の下で昼間に行った遊びだった。殆どの方がそうだろうと思う。
しかし文献を読んで行くとおもしろい事が分かった。

どうも影踏みと言う遊びは、月明かりの下で行われた物らしい。
昔の影踏みは「影や道陸神」と呼ばれていた。
月の光は淡く、柔らかで余韻をもっている。その明かりは神秘的で人の心を魅了し想像力をかき立てる。
そんな事から「神」の名前が出て来る以上神秘的な夜が相応しいし、月明かりとその影は古来より絵画に登場し文学でも取り上げられて来た事から夜の遊びなのだろうと言う見解だろう。

私も上記のように、暗闇で行われる影絵と言う物に魅了された一人だ。暗くなった部屋はいつもとは違う空間となり、一緒にいる人々はなぜか不思議な一体感を感じる。
そしてそこで行われる影絵により心を通じ合わせる。

この事こそが影絵の醍醐味ではないか。今はありとあらゆる所に人から作り出された人工の光が照らされ、夜の闇はうすらぎ、それと同時に闇と言う特別な空間で養える淡い感性も薄らいでしまったのではないかと思う。
こういう世の中だからこそ、私達の行っているプロジェクトも意味を見い出しているのだと思うが、最近では感性の欠如により若年者の殺人や自殺が増えていので、プロジェクトに参加されたお子様達やそれを見守る親御様に何らかの感性を養うヒントを見いだして頂ければ幸いに思う