前回のブログ記事を想いながら地元の街を歩いていました。
「日本人は、本当の豊かさをどこに置いたのだろうか」
あきる野の街を歩きながら、ふとそんな問いを抱きました。 私の記憶の奥にあるこの街は、もっとずっと、人の体温に近い場所でした。
かつて、商店街は街の「居間」のような場所でした。 文房具屋、本屋、おもちゃ屋。手芸店の軒先を飾る毛糸の色。スーパーの特設ステージで芸人が芸を披露し、子供たちの弾けるような笑い声が夕暮れの空に溶けていく。そこには、効率や利便性では測れない、確かな「生活の潤い」が溢れていました。
小学校の課外授業でお邪魔したパン屋さん。 あの日、みんなで見学して、特別にいただいた焼きたてのパン。あの香ばしい匂いと温かさは、今も私たちの心の中で大切に「熟成」されています。お店という形は役割を終えましたが、あの味が教えてくれた「手作りの尊さ」は、今も私たちの血肉となっている気がします。
静かに佇む、由緒ある景色
秋川のせせらぎに耳を澄ませると、かつて多くの旅人を迎え、癒やしてきた由緒ある旅館が、今は深い静寂の中に横たわっています。 時代の波とともに、その役目を次世代へと譲るための「長い休息」に入っているかのようなその姿。かつて多くの笑い声が響いた廊下は、今はただ静かに光を反射し、時の流れを見守っています。
経営者の方が今もその場所で刻んでいる時間は、単なる生活ではありません。それは、この場所が紡いできた歴史の最後の一頁を、慈しむように守り続けている「祈り」のようにも見えます。
路地裏に見つける、変わらない光
そんな移ろいゆく景色の中で、神社のそばの路地裏には、今も変わらず看板を掲げる八百屋さんがあります。
店先に並ぶのは、泥一つなく丁寧に磨き上げられた、瑞々しい季節の野菜。その鮮やかな色は、この街がまだしっかりと息づいていることを証明しているかのようです。かつての活気あふれる商店街の魂が、この路地裏の一角に凝縮され、今もひっそりと灯り続けています。
記憶を光に変えて
「現代影絵プロジェクト」は、形を変えていく街の姿を、光と影のコントラストで描き出す活動です。
由緒ある旅館の静寂も、思い出の中に息づくパンの香りも、そして今も路地裏を彩る野菜の輝きも。すべてはこの街が編み上げてきた、かけがえのない物語です。
私たちは、失われたものを嘆くだけでなく、今も残る路地裏の光を大切に繋いでいきたい。今度あの路地を歩くときは、あの八百屋さんで一番旬の野菜を選んでみようと思います。その一口が、かつての街と今の私を繋ぐ、温かい架け橋になると信じて。
それではまた。。。
【追伸:未来へ伸びる影】
最近、私の周りで小さな、けれど希望に満ちた変化が起きています。
私の娘が、友人たちと一緒に神社巡りを始めました。 街から文房具店は姿を消しましたが、彼女は大きなイオンで見つけたお気に入りのペンを手に、楽しそうに参道を歩いています。道中の古い街並みや、ふとした路地の風景を、彼女たちは理屈ではなく「なんとなく心地よいもの」として、全身で受け止めているようです。
巫女のアルバイトをしてみたいと語る彼女たちの真っ直ぐな瞳。
なぜ惹かれるのか、その理由は彼女たち自身にも「わからない」のかもしれません。 けれど、彼女たちが踏みしめる参道の砂利の音や、新しいペンを走らせる音の中に、かつての街の賑わいや笑い声が、時代を超えて静かに共鳴しているのを感じます。
形あるものは変わっても、街の魂を「美しい」と感じる心は、こうして次の世代へと手渡されていく。 その微かな、けれど確かな光の連鎖がある限り、この街の未来は少しだけ、明るい気がしています。