皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。 ふとした瞬間に「あぁ、時代は変わったなぁ」としみじみ感じること、最近増えていませんか?特に、私たちが当たり前だと思っていた「家族の風景」が、音を立てて形を変えているのを肌で感じる今日この頃です。
目 次
紅白と『ゆく年くる年』の終わり、あるいは始まり
我が家では、代々受け継がれてきた「お決まりのコース」がありました。家族全員でこたつを囲み、ミカンを剥きながら紅白歌合戦を見る。そして除夜の鐘の音とともに流れる『ゆく年くる年』の、あのどこか物悲しくも清らかな映像を眺め、背筋をピンと伸ばして「あぁ、新年が来たんだな」と実感する。あの静かな空気感の中で、私たちは一年の区切りを共有していました。
ところが、今の子供たち、そして若者たちの姿はどうでしょうか。 隣に座っているかと思えば、視線は手元のスマホに釘付けです。耳にはワイヤレスイヤホン。紅白のステージで誰が歌っていようが、どれほど豪華な演出が行われていようが、お構いなしです。彼らにとっての年越しは、YouTubeでお笑い動画をハシゴしたり、SNSで友達と「あけおめ!」のスタンプを送り合ったりすることにあります。
私たちが大切にしていた『ゆく年くる年』の静寂。あの厳かな気持ち……なんて、彼らの辞書には最初から載っていないのかもしれません。そんな姿を見ていると、ふと「民放テレビを見る」という習慣そのものが、私たちの世代でひとつの区切りを迎えようとしているのを痛感します。かつては国民の共通言語だったテレビ番組が、今は数ある「個人の選択肢」のひとつに過ぎなくなったのです。
Netflixという「終わりのない海」に溺れる日々
しかし、人のことは言えません。私自身の生活を振り返ってみても、確かに民放の放送をリアルタイムで見る時間は激減しました。その理由は明白です。いわゆる「サブスク(サブスクリプション)」という、底なしの海にどっぷりと浸かっているからです。
驚くことに、今や私は6つものサービスを契約しています。Netflixを筆頭に、映画、音楽、アニメ、ドキュメンタリー……。かつてのように、雨の日にわざわざ車を出してレンタルビデオ店へ行き、新作の棚を必死に探して「貸出中」にガッカリする、なんて手間は一切なくなりました。ボタンひとつで、世界中のエンターテインメントが手に入る。それは確かに革命的な便利さです。
でも、その代わりにあるのは「各プラットフォームに踊らされる日々」ではないでしょうか。 「あの映画、また見たいな」と思ってNetflixを開いたら、いつの間にか配信が終了している。慌てて調べてみると、別のプラットフォームで独占配信が始まっている。「えっ、これを見るためだけにまた別の契約をするの?」と思いながらも、結局ポチッとしてしまう。
親としては、毎月の支払額がじわじわと増えていくのが大きな悩みの種です。世の中がサブスクだらけになり、なんだか巨大なシステムに「さあ、次はこちらへどうぞ」と手のひらで転がされているような、そんな感覚にさえ陥ります。便利になったはずなのに、常に「何かを見なければならない」「損をしてはいけない」という強迫観念に追いかけられているような、不思議な忙しさ。これが現代の「豊かさ」の正体なのでしょうか。私たちは、選んでいるようでいて、実はプラットフォーム側に「選ばされている」のかもしれません。
街から消えていく「手触りのある景色」
世の中が進歩し、すべてがデジタル化、効率化されていく一方で、私たちの生活圏内からは色々なものが姿を消しました。 最近特に目につくのは、携帯ショップの減少です。かつては街のあちこちにあって、困ったら駆け込める、いわば地域の相談所のような場所でしたが、今や手続きのほとんどがオンライン。無機質な画面上ですべてが完結し、効率化の波は止まりません。
でも、個人的に一番寂しさを感じているのは「本屋」が街から消えてしまったことです。 Amazonを開けば、翌日には玄関に本が届く。それは確かに素晴らしい発明ですし、私もよく利用します。でも、本屋さんの棚を目的もなく眺めていて、ふと目に飛び込んできた一冊に、言葉では言い表せない運命を感じる……あの「偶然の出会い」は、アルゴリズムが弾き出す「あなたへのおすすめ」の中には存在しません。
背表紙の並び、インクの匂い、実際に手にとった時の紙の重み。そういった「手触り感」のある体験が、効率という大義名分の下で次々と切り捨てられているような気がしてなりません。町のお店が消えていくことを、世の中の人たちはどれくらい気にしているのでしょうか。Amazonの台頭で便利になった裏側で、私たちは「そこに行かなければ味わえない空気」や「人との温度感のあるやり取り」を、少しずつ、でも確実に手放しているのです。
時代遅れの「手間」が、今、最高の贅沢になる
こうして書いていると、なんだか昔を懐かしむだけの話に見えるかもしれませんが、実はそうではありません。私が考えているのは、この「便利すぎる不便な時代」だからこそ、私たちができる「新しい挑戦」についてです。
子供たちがスマホで新しい文化を作っているのなら、それを「最近の若者は……」と切り捨てるのではなく、「へぇ、そんな面白いことが起きているのか」と、まずは面白がってみる。そのくらいの軽やかさを持ちたい。一方で、彼らがまだ知らない「アナログの衝撃」をどう伝えるか、というワクワクもあります。
私たち「現代影絵プロジェクト」が扱っている「写し絵」は、江戸時代から続く、とんでもなくアナログな技術です。 電気のスイッチひとつで映像が流れるNetflixとは真逆。何人もの大人が息を合わせ、木製の風呂(幻燈機)を操り、光と影の揺らぎを作り出す。そこには、デジタルでは決して再現できない、その場限りの「生命感」があります。
かつてお茶の間でみんながテレビを囲み、同じ瞬間に笑い、驚いたあの体験。それこそが、今、最も失われつつある贅沢なのではないでしょうか。 スマホの画面を一人で眺めるのではなく、誰かと同じ場所で、同じ空気を感じながら、光と影の世界に没入する。それは、サブスクの海を漂う私たちにとって、乾いた喉を潤す一杯の水のような体験になるはずです。
変わりゆく世界で、新しい一歩を
サブスクに振り回される日常も、本屋がなくなった寂しさも、すべては私たちが「本当に大切にしたいもの」を見つめ直すためのスパイスです。 世の中の進歩に驚き、時には月額料金の請求額に悲鳴を上げながらも(笑)、私たちは新しい創作の形に挑戦し続けていきたい。
便利すぎる世の中だからこそ、あえて「手間」をかけ、ライブでしか伝わらない熱量を大切にする。 変化を恐れず、でも自分の中に流れる「変わらないワクワク」を信じて、これからの時代を歩んでいこうと思います。皆さんも、たまにはスマホを置いて、誰かと一緒に「同じ景色」を見てみませんか?
このブログを読んで、少しでも写し絵と、創作の奥深さに興味を持っていただけたら嬉しいです。ぜひ、私たちの活動や公演(現在お休み中)にも注目してください。 現代影絵プロジェクトのウェブサイトはこちら: https://utsushie.org/ また次回の「写し絵の話しあれこれ」でお会いしましょう!