日の出イオンのバナナの皮と、商売の品格

皆さんは、日々のお買い物で「なんだか騙されているような気がする」と感じたことはありませんか? 私は最近、日の出のイオンでバナナを買うたびに、言葉にできないモヤモヤを抱えています。たかがバナナ、されどバナナ。実はこの黄色い果物一房の裏側に、現代社会が抱える大きな歪みが透けて見えるような気がしてならないのです。

巧妙に仕組まれた「三段階の陳列」

イオンのバナナ売り場に行くと、見事なまでに整理されたコーナーがあります。そこには「低価格」「中価格」「高価格」という三種類のバナナが、整然と一列に並べられています。 一見、消費者の予算に合わせて選べる親切な設計に見えますが、これこそが巧妙なマーケティング手法の罠ではないかと思うのです。

我が家には食べ盛りの子供がいますから、当然のように「低価格」のバナナを手に取ります。しかし、ここ最近のその品質といったら、目を疑うものばかりです。 皮を剥いてみれば、中はグチャグチャに潰れている。あるいは半分以上が真っ黒に変色して、食べられる部分を探すほうが難しい。それはまるで「粗悪品」という言葉がそのまま形になったような代物でした。

ここで恐ろしいのは、これが単なる「たまたまの不良品」ではなく、システムとして組み込まれているのではないかという疑念です。 わざと低価格帯に手の施しようのない粗悪品を置くことで、消費者に「やっぱり安いのはダメね」と学習させ、半ば強制的にワンランク上の、利益率の高いバナナへと誘導する。この「ズルい手法」が、あの大規模な陳列棚から透けて見えるのです。

「高級品で黙らせる」という姿勢の虚しさ

あまりにひどい状態が続くので、先日、ついに電話で意見を伝えました。すると後日、交換の品を持ってきてくれたのですが、そこでの対応にさらに絶句してしまいました。 持ってきたのは、前回と同じ価格帯の、やはり半分食べられないようなバナナ。当然、その場でお返ししました。すると今度は、一番高い「高価格帯」のバナナを差し出してきたのです。

正直に言って、「そうじゃないんだよな」という言葉が喉まで出かかりました。 私が求めているのは、高級なバナナをタダでもらって得をすることではありません。安かろうが何だろうが、食べ物として売る以上、最低限の「きちんとした物」を売ってほしい。ただそれだけなのです。 とりあえず高い物を渡して相手を黙らせようとするその姿勢。そこに、巨大システムゆえの「無責任さ」が凝縮されているように感じて、ひどく悲しくなりました。

地場を飲み込み、責任を放棄する巨大資本

考えてみれば、イオンのような巨大な販売システムは、かつてその土地に根付いていた小さな八百屋や地場産業を次々と飲み込み、今の地位を築いてきました。 昔の八百屋さんなら、バナナが傷んでいれば「今日はこれは勧められないよ」と言ってくれたでしょう。あるいは、安くても美味しいものを目利きして届けてくれる、顔の見える信頼関係がありました。

今のシステムはどうでしょうか。地域の人々から選択肢を奪い、巨大なコーナーを作って並べておきながら、その中身には責任を持たない。外部からやってくるお客に対しても、数字上の利益を上げるための「マーケティング」ばかりが先行し、手渡す商品への愛情や誇りが失われている。 昨日もまたバナナを買いましたが、やはり改善の兆しは見られませんでした。この不誠実なサイクルが当たり前になっていくことに、私たちはもっと敏感であるべきではないかと思うのです。

写し絵のスクリーンと、バナナの皮

私たちの活動である「写し絵」の世界にも、実は通じるものがあります。 写し絵は、和紙を貼ったスクリーンの裏側で、何人もの演者が木製の「風呂(種板を映す箱)」を抱え、息を合わせて動かします。観客に見えるのは表側の美しい影の動きだけですが、その裏側には、決して手は抜けない、誤魔化しのきかない職人の仕事があります。

もし私たちが、「表だけ綺麗に見えれば、裏側(仕掛けや準備)は適当でいい。どうせ観客には見えないのだから」という考えを持ったらどうなるでしょうか。 きっと、その瞬間に表現としての命は尽きてしまいます。どんなに立派な宣伝をしても、中身が伴わなければ、観客の心には届きません。

バナナの皮を剥くまでは中身が見えないように、写し絵もまた、幕が上がるまではその真価はわかりません。だからこそ、私たちは「見えない部分」にこそ、誠実でありたいと思うのです。

誠実さという「質」を取り戻すために

「安ければ悪いのは当たり前」という諦めは、少しずつ私たちの社会の質を下げていくような気がします。 売る側も、作る側も、そして買う側も。目の前の品物や表現に対して、真っ直ぐに向き合うこと。効率や利益という大きな渦に飲み込まれそうになっても、「これは本当にお客さんに胸を張って出せるものか?」という問いを捨ててはいけないのだと、黒ずんだバナナを前に強く感じました。

いつか、イオンの棚に、価格に関わらず「誰かが真心込めて並べたバナナ」が戻ってくることを願いつつ、私は私で、自分たちの表現に一点の曇りもないよう、今日も稽古に励みたいと思います。


このブログを読んで、少しでも写し絵と、創作の奥深さに興味を持っていただけたら嬉しいです。ぜひ、私たちの活動や公演(現在お休み中)にも注目してください。 現代影絵プロジェクトのウェブサイトはこちら: https://utsushie.org/ また次回の「写し絵の話しあれこれ」でお会いしましょう!