みなさん、こんにちは。 「写し絵の話しあれこれ」へようこそ。今日もお越しいただき、ありがとうございます。
実は以前のブログで、私が日頃から感じていた「日の出のイオンで買うバナナ」についての、かなり熱量のこもった(というか、少しピリ辛な)記事を書いたのを覚えていらっしゃるでしょうか。
あの時は、バナナ売り場の前で感じたあまりのショックと憤りに、思わず文章が熱くなってしまいました。 覚えている方も、はじめましての方も、まずは当時の私がどんな風に頭を抱えていたのか、少しだけ振り返らせてください。
【前回のプレイバック】 『我が家には食べ盛りの子供がいますから、当然のように「低価格」のバナナを手に取ります。しかし、ここ最近のその品質といったら、目を疑うものばかりです。皮を剥いてみれば、中はグチャグチャに潰れている。あるいは半分以上が真っ黒に変色して、食べられる部分を探すほうが難しい。それはまるで「粗悪品」という言葉がそのまま形になったような代物でした。 …(中略)… 安かろうが何だろうが、食べ物として売る以上、最低限の「きちんとした物」を売ってほしい。ただそれだけなのです。』
まさかの「130円バナナ」劇的大変身
……いやあ、あらためて読み返してみても、なかなかの熱量ですね(笑)。 「安かろう悪かろうにも程があるでしょう!皮を剥いたら半分も食べられないなんて、売り物としてどうなの?」と、スーパーの陳列棚の前で本気でため息をついていたわけです。安価な商品ラインとはいえ、食品としての最低限のラインすら割り込んでいるように見えて、商売のあり方そのものに疑問を感じていたのでした。我が家のように毎日のように消費する家庭にとって、あの状態は本当に切実な問題だったのです。
さて。 あれからしばらくの時が流れた、現在の話です。
結論から申し上げましょう。 最近のイオンの130円バナナ、驚くほどの劇的な進化を遂げています。
いや、本当にびっくりしたんですよ。買い物に行って棚を見た瞬間、思わず自分の目を疑ってしまいました。 あの悪夢のような「皮を剥いたら真っ黒グチャグチャ」時代がまるで嘘だったかのように、今の130円帯(一番安いランク)のバナナは、実に誇らしげにピシッと綺麗な黄色をまとい、適度な張りがあり、食べてみても甘みと香りがしっかりしているのです。
さらに驚くことに、すぐ隣に並んでいる300円のいわゆる高価格帯のバナナと見比べても、見た目の良さや状態の良さでまったく引けを取らない高品質なバナナになっているんですよね。130円というお値段を考えたら文句の付けようがないほど高品質な出来栄えなのです。
「おお!もしや私の拙いブログ……いやいや、全国からの熱い苦情でも届いたのかな?それにしても企業の改善スピードと対応力ってすごいな!」
と、最初は手放しで感動しました。買い物籠にそのきれいな130円バナナをそっと入れながら、「これで我が家の子供たちも大喜びだぞ」とホクホク顔でレジに向かったわけです。安くて、美味しくて、傷もない。消費者としてこれ以上ありがたいことはありません。
贅沢な悩みなのは分かっているけれど
ところが、です。 毎日その「お値段以上に高品質な130円バナナ」を食卓に出し、美味しく食べているうちに、私の心の中に、なんだか前とは違う、新しい「もやもや」がゆっくりと芽生えてきてしまったのです。
なんだろう、この胸の奥に引っかかるような収まりの悪さは。
だって、冷静に考えてみてください。 130円を出して、300円のバナナと比べても見劣りしない高品質なものが手に入っているんですよ? 普通なら「ラッキー!イオン最高!企業努力万歳!」で大満足して終わる話じゃないですか。これが効率化の成果なのか、仕入れの工夫なのか、はたまた集客のための目玉商品(利益度外視)なのか、具体的な背景は分かりません。でも消費者としての立場だけで見れば、私たちは何ひとつ損をしていないどころか、得しかしていないはずなのです。
それなのに、なぜか素直に100%の笑顔で喜べない自分がいる。 朝、バナナの皮を剥きながら、「うーん……」と一人で首をかしげてしまうのです。
「安くて高品質なんだから文句言うなよ!」という周囲の声が聞こえてきそうですし、自分のあまのじゃく(天の邪鬼)ぶりには我ながら呆れてしまいます。以前は「粗悪品だ」と怒っていたくせに、今度は「高品質すぎる」と首をひねるなんて、勝手すぎるのではないかと自分でもツッコミを入れたくなります。
でもね、私が前回の記事で言いたかったことって、本当にこういうことだったのだろうか……?と、どうしても考えてしまうのです。
私たちが欲しかったのは「極端な変化」ではなく「当たり前」
私が前回の記事で切実に訴えたかったのは、「130円で300円レベルに見劣りしない高品質なバナナが買えるお得感」ではありませんでした。そんな一見お得に見えるサプライズのような体験を求めていたわけではないのです。
ただ単に、「130円なら130円なりでいいから、最低限まともに食べられる、普通のもの」であってほしかった。ただそれだけなんですよね。
スーパーマーケットという生活に密着した場所で、売る側が「食品」として棚に並べる時の、最低限の当たり前。誠実な目利き。「安価だけれど、ちゃんと美味しく食べられますよ」という当たり前の安心感。それさえしっかりと守られていれば、あまりにも極端な高品質なんて、最初から望んでいなかったのです。
なのに、現実の棚の上で起きている現象は、まるで極端から極端へと振れ幅が大きすぎる振り子のようです。
ちょっと前までは「半分捨てるしかないような、悲しくなるほどの粗悪品」。 それが一転して、今では「この値段でここまでやって利益が出るのだろうか?と心配になるほどの高品質品」。
中間がないというか、なんだか極端なんですよね。 「安かろう悪かろう(売り手都合の放任)」か、あるいは「安かろう高品質だろう(過剰なサービス傾向)」の二択しかないような、そんな極端な空気感。
「安ければボロボロでも文句を言うな」という突き放した姿勢から、いきなり「これでもかと言うほどの高品質」へジャンプしてしまう。そこにある「極端さ」に、なんだか現代のマーケティングや消費社会の歪みのようなものを感じてしまって、素直に素朴な喜びとして受け取れないのかもしれません。
ちょうどいい「誠実さの塩梅」を探して
このもやもやの正体って、一体何なんだろうとじっくり考えてみました。
きっと、日常の買い物や商売でも、あるいは私たちが普段行っている「表現」や「手仕事・モノづくり」の世界でも同じなのかもしれませんが、本当に大切なのは「ちょうどいい誠実さのポジション」をコツコツと守り続けることなんじゃないかなと思うのです。
無理に背伸びをして過剰なものを差し出して相手を驚かせるでもなく、逆に手を抜いて誤魔化し、見かけ倒しの粗悪品を掴ませるでもなく。
提示した価値や約束に対して、「うん、これなら胸を張ってお互いに納得できるね」「これで十分満足だね」と言い合える、等身大の誠実さ。
130円のバナナなら、130円分の丁寧でまじめな仕事をしてくれれば、それで十分にありがたいのです。高望みもしない代わりに、期待を裏切られもしない。そんな「目立たないけれど心地よい信頼関係」が棚の上に当たり前に転がっていることこそが、私たちが一番安心して買い物ができる状態であり、健康的な商売の姿なんじゃないでしょうか。
極端な振れ幅に振り回されることなく、お互いが無理なく笑って手渡し合える「ちょうどいい塩梅(あんばい)」。
劇的な進化を遂げた高品質なバナナを美味しくほおばりながら、そんな「商売とモノづくりの誠実さ」について、深く深く考え込んでしまった今日この頃です。 みなさんは、この「お値段以上に高品質なバナナ」、どんな風に思われますか?
このブログを読んで、少しでも写し絵と、創作の奥深さに興味を持っていただけたら嬉しいです。ぜひ、私たちの活動や公演(現在お休み中)にも注目してください。 現代影絵プロジェクトのウェブサイトはこちら: https://utsushie.org/ また次回の「写し絵の話しあれこれ」でお会いしましょう!